芸能

芸能の島 沖縄

芸能の島

芸能の島 沖縄

沖縄の芸能と言えば代表的物で琉球舞踊・民謡・三味線(サンシン)・太鼓・胡弓・空手だと思います。これらの芸能は今でも各地に研究所や道場といった形で子供達にも継承されています。沖縄の芸能を紹介したいと思います。
   
琉球舞踊  
琉球王国時代の特に十八世紀から十九世紀中期頃までに、創作され練りあげられた踊りとして、継がれています。琉球王国時代には、中国から皇帝の冊封使が来琉して、首里城正殿前で載冠の儀式等が挙行されました。その儀式の後に、冊封使歓待の芸能が、城内の特設舞台で上演されました。それらを宮廷舞踊(古典舞踊ともいう)と呼び、明治十二年に誕生した沖縄県から数年後に、那覇の芝居小屋で、宮廷舞踊(古典舞踊)を上演しながら、その様式と振りを大切に完全に消化して、庶民生活から題材をとって、創造されたのが雑踊りであります。 雑踊りとは、古典女踊りを真踊{まおどり}というのに対して、明治の娘舞をそう呼んだといわれています。

三味線(三線)
三線がいつ沖縄に伝来されたのかは明確には定かではありませが14〜15世紀頃中国から伝わったといわれています。中国から伝来した三線は琉球、沖縄で長い年月の間に工夫と改良が加えられて琉球音楽の主要楽器となり沖縄の音楽を一変させました。琉球王府が三線の改良に力をいれて17世紀初頭には三線主取(ヌシドリ)という役職までおいていたそうです。王府の強力なバックアップのもとで、多くの名工が生まれて生み出せれた名器は宮廷楽器として丁重に扱われたということです。それが後に民間のウチナンチュが家宝として床の間に飾られた由縁なのでしょう。

琉球空手
琉球は14〜16世紀にかけて中国をはじめとする周辺の諸国と中継貿易を営んで繁栄されたといわれています。琉球空手は当時航海において脅威の存在だった和寇とよばれる海賊から身を守る為、生み出された武術という説があります。また、当時の歴史的背景において沖縄独自のティーとよばれる武術が発達されました。その後長い年月にわたって中国はじめとする東南アジア諸国の武術の利点に沖縄固有のティーを組み合わせて琉球空手が完成形になったといわれます。当時の王国時代では首里城を中心に発達されたという首里手と商業都市である那覇で発達された那覇手という武術がありました。その中間帯であったとされる村では主に泊手という武術が発達され琉球ではいずれの地域でも多くの武術家を生み出したという。琉球空手も秘技があるというのは過言ではなく門外不出であった関係上か琉球空手における資料の数は乏しく、個人指導における口伝で琉球空手は代々伝承されてきたらしい。しかし廃藩置県後に琉球空手は新諸制度がだされたのと同時に明治の教育制度の中に空手という武術が教育として採用され、一方では一般に公開されるという動き出ました。琉球空手がもつ主流は現在小林流・剛柔流・上地流・松林流の四つが存在しています。



琉球舞踊「四つ竹」


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